カール・リヒター バッハ宗教音楽集(2)

Disc 01-03
J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV.244

イルムガルト・ゼーフリート、アントニー・ファーベルク(ソプラノ)
ヘルタ・テッパー(コントラルト)
エルンスト・ヘフリガー(テノール/福音史家)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
キート・エンゲン(バス/イエス)
マックス・プレープストル(バス)

録音:1958年

Disc 04-05
J.S.バッハ:ヨハネ受難曲 BWV.245

イヴリン・リアー(ソプラノ)
エルンスト・ヘフリガー(テノール/福音史家)
ヘルマン・プライ(バリトン/イエス)
キート・エンゲン(バス)

録音:1964年

Disc 06-08
J.S.バッハ:クリスマス・オラトリオ BWV.248

グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ/天使)
クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ)
フリッツ・ヴンダーリヒ(テノール/福音史家)
フランツ・クラス(バス)

録音:1965年

J.S.バッハ:マニフィカト ニ長調 BWV.243

マリア・シュターダー(ソプラノ)
ヘルタ・テッパー(コントラルト)
エルンスト・ヘフリガー(テノール)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)

録音:1961年

Disc 09-10
J.S.バッハ:ミサ曲ロ短調 BWV.232

マリア・シュターダー(ソプラノ)
ヘルタ・テッパー(アルト)
エルンスト・ヘフリガー(テノール)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
キート・エンゲン(バス)

録音:1961年

Disc 11
『クリスマス・オラトリオ』のリハーサル

グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ)
フリッツ・ヴンダーリヒ(テノール)
フランツ・クラス(バス)

録音:1965年

Blu-ray Audio
J.S.バッハ:
1. マタイ受難曲 BWV.244
2. ヨハネ受難曲 BWV.245
3. クリスマス・オラトリオ BWV.248
4. ミサ曲ロ短調 BWV.232

録音:1958-65年 ※演奏内容はDiscと同じ

DVD 01-02
J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV.244

ヘレン・ドナート(ソプラノ)
ユリア・ハマリ(コントラルト)
ペーター・シュライアー(テノール/福音史家)
ホルスト・R・ラウベンタール(テノール)
エルンスト・ゲロルト・シュラム(バス/イエス)
ジークムント・ニムスゲルン(バス/ユダ、ペテロ、大祭司、ピラト)
ヴァルター・ベリー(バス)

監督:フーゴー・ケッヒ
収録:1971年5月 ミュンヘン、バヴァリア・スタジオ

DVD 03
J.S.バッハ:ヨハネ受難曲 BWV.245

ヘレン・ドナート(ソプラノ)
ユリア・ハマリ(コントラルト)
ペーター・シュライアー(テノール/福音史家)
ホルスト・R・ラウベンタール(テノール)
エルンスト・ゲロルト・シュラム(バス/イエス)
キート・エンゲン(バス)
ジークムント・ニムスゲルン(バス・バリトン)

映像監督:アルネ・アルンボム
収録:1970年9月、クロスター教会

DVD 04
J.S.バッハ:ミサ曲ロ短調 BWV.232

グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ)
ヘルタ・テッパー(コントラルト)
ホルスト・ラウベンタール(テノール)
ヘルマン・プライ(バス)

映像監督:アルネ・アルンボム
収録:1969年9月、クロスター教会

管弦楽:ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団
指揮:カール・リヒター

 

マタイだけでない リヒターの厳格なバッハ解釈の記録

リヒターがステレオ録音草創期のアルヒーフ・レーベルに、一連のバッハ宗教音楽の録音を行ったことは、現在では記念碑的偉業としてとらえられています。一時期、ジョン・エリオット・ガーディナーが同じアルヒーフに古楽器を用いてバッハの宗教音楽を数多く録音し、ムーブメントを起こしたため、リヒターの名盤群が「時代遅れ」のように扱われかけましたが、内容のあまりの素晴らしさに、現在でも多くの音楽ファンに愛聴されています。

引き合いに出すのはよろしくないですが、かつてはカール・ミュンヒンガーやジャン=フランソワ・パイヤール 、ネヴィル・マリナーといった「バロック音楽の名指揮者たち」が、バッハやヘンデル、ヴィヴァルディのレコード・アーカイブを席巻していたわけですが、今では古楽器演奏家たちに比してやや劣勢にあるのは否めません。そういう点からみれば、リヒターは改めてすごいと思います。

あと、1996年に急遽発売された上のディスクも、冷めかかっていた我が国のリヒター熱を再燃させるに十分なインパクトを与えてくれたと言えます。

これらのディスクは、リヒターの生誕70年および没後15年の契機に発売されました。1969年、東京文化会館大ホールで行われた、カール・リヒター&ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団による日本公演を収めたもので、1996年当時、筆者もまさかこのような超ド級の掘り出し物が出てくるとは思いませんでした(但し、80年代に限定盤で発売されたことはあるようです)。

行きつけのレコード店で予約までして入手し、「ロ短調ミサ曲」を再生した瞬間、峻厳さと悲愴感を兼ね合わせた「キリエ」のコーラスに打ちひしがれ、身動きが取れなくなったのを覚えています。当時の東京でこんなすごい音楽が生で鳴り響いたのかと思うと、余計に衝撃を受けました。

今ではこのディスクは単体では廃盤なので、皆様に同じ感動を味わって頂くのは困難ですが、上に挙げたAmazonの中古で入手頂くか、または下記のBOXに「ロ短調ミサ曲」だけ来日公演が採用されていますので、可能であればぜひ聴いてみられてください。臨場感がものすごくリアルにとらえられており、1枚のCDで人生が変わるような感動が得られるでしょう。

しかし、たとえこの来日公演盤が手に入らなくとも、一般的に入手がしやすい1961年のスタジオ録音さえあれば十分だと言えます。緻密なセッション録音だけに、細部までリヒターの統制が効いていますし、奏者かつ合唱も冷静かつ精確な演奏を実現しています。そして聴き手は、厳しい音楽のドラマに終始引き込まれ、バッハの偉大さ、音楽の持つ根源的な力というものに魂を揺すぶられると思います。

それにしても何という曲でしょうか。ミサ曲は、バッハ以前にも以後にも名曲が目白押しですが、ここまでドラマティックなものは他にありません。ルネサンスの大家たち、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー。それぞれ個性的で美しい曲を書きましたが、あくまで宗教儀式の枠内ですぐれたものになっています。ところがバッハの場合は、そういう枠組みをはるかに飛び越え、宇宙的なスケール、まさに神の音楽を書いているのです。

リヒターの場合は、その劇性をさらに拡張してさらにドラマティックに。「キリエ」などは、人類の罪と救済、まるで「マタイ受難曲」の世界観をそのまま継承したような、ものすごい音楽になっています。

グローリアは一転して祝典的で華やか。ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」を想起させるようなスケールで、トランペット、ヴァイオリンが冴えわたります。さらに“Gratias agimus tibi”では合唱が感動的に盛り上がり、神への感謝を高らかに歌い上げますが、特に男声部の伸びがすごい。

次のクレドは、“Et incarnatus est”~“Crucifixus”と、“Et resurrexit”との対比が面白いです。前者は受難曲的世界で重苦しいですが、そこからヘンデルのような明るい祝祭的な雰囲気、まさに復活の音楽へと急変するので、この曲が「マタイ」や「ヨハネ」と違うアプローチであることをリヒターは明確にしてくれます(それにしてもディートリヒ=フィッシャー・ディースカウの巧さときたら!)

そして、 サンクトゥス、ホザンナ、ベネディクトゥスを経て、最後のアニュス・デイ。アリアがヴァイオリンのオブリガートに乗せて、ト長調とは思えないような深刻な歌を歌いますが、そこから終曲の“Dona nobis pacem”へ進むと、男声のやすらかな歌が静かに始まり、しずしずと他の声部も絡みます。ここでの合唱団は完全に力が抜けており、やがてゆっくりと、天にも昇るような柔らかなクレシェンドで平安を歌い上げ、この壮大な曲を終えます。最後のトランペットは、まさに空から神が祝福して陽光が差すようであり、本当に感動的です。

聴き終わって、本当に良かった、とても素晴らしい音楽を聴いた、と思います。

ところで、この曲で特に印象的だったのは、主観ですが冒頭のキリエ(ロ短調)、グローリア(ニ長調)、“Gratias agimus tibi”(ニ長調)、“Et incarnatus est”(ロ短調)、Crucifixus”(ホ短調)、“Et resurrexit”(ニ長調)、終曲の“Dona nobis pacem”(ニ長調)の7曲。どれも、前後の流れをひっくり返すような性格を持ち、悲劇性と祝典性が極端です。

実はこの「ミサ曲」。全部で27曲から構成されており、そのうちニ長調は半分の14曲。対してロ短調はたった5曲です。ちなみにニ長調とロ短調はいわゆる平行調です。

ホ短調曲はいわゆるキリストの受難を示すものであり、リヒターにとってまさにマタイの世界。ニ長調は彼が得意としたもうひとつの重要なジャンル、旧いドイツ人の生活そのものであるカンタータの世界。それ以外の調の曲にも、バッハによって込められた思想があり、リヒターはそれをよく理解しているようです。

すなわち、教会でルーティンに歌われる「ミサ」であってほしくなく、キリストの受難を原点としながら日々の質実剛健な生活を守っていこうというプロテスタントの使命、そのような意気込みをこの演奏からは感じます。

これらは私の妄想に過ぎませんが、リヒターのバッハ演奏の感動とは、巷間よく言われる信仰だけでなく、フルトヴェングラーと同じく、彼の高い叡智や勤勉によって積み上げられた膨大なアーカイヴによって形成されているのかもしれません。

ともあれ、「マタイ」に匹敵する人類の至宝たるリヒターの「ロ短調ミサ曲」をぜひ、皆様もお聴きください。

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